P--993 P--994 P--995 #1教行信証大意 教行信証大意 抑高祖聖人の 真実相承の 勧化をきゝ そのなかれを くまんと おもはん ともからは あひかまへて  この一流の正義を 心肝にいれて これを うかゝふへし しかるに 近代はもてのほか 法義にも 沙汰 せさるところの をかしき 名言をつかひ あまさへ 法流の実語と 号して 一流をけかすあひた 言語 道断の 次第にあらすや よく〜 これをつゝしむへし しかれは 当流聖人の 一義には 教行信証と いへる 一段の名目をたてゝ 一宗の規模として この宗をは ひらかれたる ところなり このゆへに  親鸞聖人 一部六巻の 書をつくりて 教行信証文類と 号して くはしく この一流の教相を あらはし たまへり しかれとも この書あまりに 広博なるあひた 末代愚鈍の 下機にをひて その義趣を わき まへかたきによりて 一部六巻の書をつゝめ 肝要をぬきいてゝ 一巻にこれをつくりて すなはち 浄土 文類聚鈔と なつけられたり この書を つねに まなこにさへて 一流の大綱を 分別せしむへき もの なり その教行信証 真仏土 化身土と いふは 第一巻には 真実の教を あらはし P--996 第二巻には 真実の行を あらはし 第三巻には 真実の信を あらはし 第四巻には 真実の証を あかし 第五巻には 真仏土を あかし 第六巻には 化身土を あかされたり 第一に 真実の教といふは 弥陀如来の 因位果位の 功徳をとき 安養浄土 依報正報の荘厳を をしへ たる教なり すなはち 大無量寿経 これなり 総しては 三経にわたるへしと いへとも 別しては 大 経をもて 本とす これすなはち 弥陀の 四十八願を ときて そのなかに 第十八の願をもて 衆生生 因の願とし 如来甚深の 智慧海を あかして 唯仏独明了の 仏智をときのへ たまへるかゆへなり 第二に 真実の行といふは さきの教に あかすところの 浄土の行なり これすなはち 南無阿弥陀仏な り 第十七の 諸仏咨嗟の願に あらはれたり 名号は もろ〜の 善法を摂し もろ〜の 徳本を具 せり 衆行の根本 万善の総体なり これを行すれは 西方の往生をえ これを信すれは 無上の極証を  うるものなり 第三に 真実の信といふは かみにあくるところの 南無阿弥陀仏の 妙行を 真実報土の 真因なりと信 する 真実の心なり 第十八の 至心信楽の 願のこゝろなり これを 選択廻向の 直心ともいひ 利他 P--997 深広の 信楽ともなつけ 光明摂護の 一心とも釈し 証大涅槃の 真因とも 判せられたり これすなは ち まめやかに 真実の報土に いたることは この一心に よるとしるへし 第四に 真実の証といふは さきの行信に よりて うるところの果 ひらくところの さとりなり これ すなはち 第十一の 必至滅度の 願にこたへて うるところの 妙悟なり これを常楽ともいひ 涅槃と もいひ 法身ともいひ 実相ともいひ 法性ともいひ 真如ともいひ 一如ともいへる みなこのさとりを  うる名なり もろ〜の 聖道門の 諸教のこゝろは この父母所生の身をもて かのふかきさとりを こ ゝにてひらかんと ねかふなり いま浄土門のこゝろは 弥陀の仏智に 乗して 法性の土に いたりぬれ は 自然に このさとりに かなふといふなり 此土の得道と 他土の得生と ことなりといへとも うる ところのさとりは たゝひとつなりと しるへし されは往生といへるも 実には無生なり この無生のこ とはりをは 安養にいたりて さとるへし そのくらゐをさして 真実の証と いふなり 第五に 真仏土といふは まことの身土なり すなはち 報仏報土なり 仏といふは 不可思議光如来 土 といふは 無量光明土なりといへり これすなはち 第十二 第十三の 光明寿命の 願にこたへて うる ところの身土なり 諸仏の本師は これこの仏なり 真実の報身は すなはち この体なり 第六に 化身土といふは 化身化土なり 仏といふは 観経の真身観に とくところの身なり 土といふは  菩薩処胎経に とくところの 懈慢界 また大経にとける 疑城胎宮なりと みえたり これすなはち 第 P--998 十九の 修諸功徳の 願よりいてたり たゝし うちまかせたる 教義には 観経の 真身観の仏をもて  真実の報身とす 和尚の釈 すなはち このこゝろを あかせり 真身観と いへる名 あきらかなり し かるに これをもて 化身と判せられたる 常途の教相にあらす これをこゝろうるに 観経の十三観は  定散二善のなかの 定善なり かの定善のなかに とくところの 真身観なるかゆへに かれは 観門の所 見につきて あかすところの 身なるかゆへに 弘願に乗し 仏智を信する機の 感見すへき身に 対する とき かの身はなを 方便の身なるへし すなはち 六十万億の 身量をさして 分限をあかせる 真実の 身に あらさる 義をあらはせり これによりて 聖人 この身をもて 化身と 判したまへるなり 土は 懈慢界といひ また疑城胎宮といへる そのこゝろを えやすし ふかく 罪福を信し 善本を修習して  不思議の仏智を 決了せす うたかひを いたける 行者のむまるゝ ところなるかゆへに 真実の報土に はあらす これをもて 化土となつけたるなり これわか聖人の ひとり あかしたまへる 教相なり た やすく 口外に いたすへからす くはしく かの一部の 文相にむかひて 一流の深義を うへきなり  されは この教行信証 真仏土 化身土の 教相は 聖人の己証 当流の肝要なり 他人に対して たやす く これを談す へからさるものなり あなかしこ〜    [文明九年{丁酉}十月廿七日至巳剋令清書之訖] P--999                                  [六十三歳在御判]   [みなひとのまことののりをしらぬゆへ               ふてとこゝろをつくしこそすれ]  [本云]   [謹依教行証文類意記之蓋依願主之所望也 干時嘉暦三歳戊辰十一月廿八日今日者高祖聖人御遷化之忌辰也 短慮以之令   擬報恩之勤 賢才披之莫加誹謗之詞 穴賢穴賢 不可及外見者也 且為秘稟教趣於吾流且為恐破法罪於他人也]                                             [釈蓮如] P--1000